贈中山鄭大夫 (ちゅうざんていたいふにおくる)

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概要・解説文

柴邦彦(しば・くにひこ)漢詩文「贈中山鄭大夫(ちゅうざん・ていたいふにおくる)」 解説
 
 七言絶句(しちごん・ぜっく)の漢詩文が四編、書かれているこの文書は、江戸幕府の儒学者である柴邦彦が、琉球使節として江戸を訪れた「中山(≒琉球王国)」の「鄭大夫(※大夫は高官に対する尊称)」を送別する際に贈ったものです。「中山 鄭大夫」という宛名は文書の末尾にみえます。
 末尾付近に「寛政八年(1796)」という年号がありますが、この年は琉球国王・尚温(しょう・おん)の即位を認め祝ってもらった返礼に琉球使節が江戸を訪れた年です。「十二月二十七日」という日付がありますが、琉球使節が江戸を後にしたのは12月30日のことですから、まさに別れ際に贈られた漢詩文ということでしょう。
 文書の内容は、冒頭に江戸を訪れた「鄭親雲上」(てい・ぺーちん ※親雲上は首里王府の官位。)らとの別れを惜しんで漢詩を贈るということが書かれ続いて四編もの漢詩が書かれています。詩の内容は、琉球の歴史を讃え、またその竜宮のような国へ帰ってゆく鄭氏に惜別(せきべつ)の意を表するものになっています。
詩文を贈られた鄭親雲上、蔡(さい)親雲上についてはそれぞれ鄭章観(しょうかん)、蔡邦錦(ほうきん)であることが『琉客談記(りゅうきゃく・だんき)』(1797年)という書物から判明します。この本は、薩摩藩主が鄭親雲上らに清朝(しんちょう)中国の状況を薩摩藩の江戸屋敷で聞き取った内容をまとめたものです。あとがきを柴邦彦が書いていて、そこに薩摩藩主・島津重豪(しまづ・しげひで)自身が直接、鄭章観、蔡邦錦らに聞き取ったなどの内容が記されているのです。
 琉球使節の江戸訪問は、琉球国王の即位や、江戸幕府将軍の代替わりの際などに行われた恒例行事です。江戸時代を通して20回ほど行われたこの行事は、江戸時代の後半になるほど盛んになり、琉球使節訪問の年には「琉球人行列図」などの木版印刷物が行列の見物用に多く刊行されたほどでした。そうした刊行物や琉球使節の人々が各地に残した書などは多く現存していますが、このようなごく私的な文書は非常に貴重なものです。
 当時の「日本」と琉球王国の関係は政治的には複雑な部分も大きかったようですが、実際に顔を合わせた個人個人はこのような深い親交が行われていたようで、琉球を代表する文人である程順則(てい・じゅんそく)と、その当時の「日本」を代表する文人であった近衞家熙(このえ・いえひろ)との書画・詩文を通した交流はよく知られています。この文書もそうした文化交流を示す記念といえるでしょう。
(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
『琉球使者の江戸上り』(宮城栄昌 第一書房 1982年)
『琉球使節、江戸へ行く!』(沖縄県立博物館・美術館 展覧会図録 2009年刊)
『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス社 1981年刊) 
※項目「江戸上(のぼ)り」、「琉客談記」ほか参照。
ほか
 
(調査ノート)
○鄭大夫、蔡大夫については不明でしたが県立図書館資料班・横山英之(よこやま・えいじ)氏の調査により、それぞれ鄭章観、蔡邦錦と判明しました。柴邦彦が跋文(ばつぶん)を書いた『琉客談記』は開明的で、欧米や中国などの情報収集に熱心であった薩摩藩主・島津重豪(しまづ・しげひで)が自ら、鄭親雲上らに最新の清朝中国の状況を中国語で聞き取った内容をまとめたものです。当時の日本は中国と正式の国交を持っておらず、正式の国交を持っていた琉球王国からこうした情報を入手する必要があったのです。
 柴邦彦の跋文によって、鄭章観は琉球使節の儀衛正(ぎえいせい ※行列と行列中の楽隊を統括)を勤めた人物と分かります。また同様に、蔡邦錦は同使節の楽師(がくし ※外交の宴席における歌舞の際に楽器演奏者)であったことが分かります。
 『琉客談記』の著者は一般に、中国語の聞き取り内容を和訳して筆記した薩摩藩士・赤崎楨幹(あかさき・ていかん 1739~1802)とされています。沖縄県立博物館などに写本が残されています。また近代以降は、『改訂 史籍集覧(しせきしゅうらん)』(1902年刊)などに活字化されて収録されています。
○琉球を代表する書家として名高い鄭嘉訓(てい・かくん)は1806年に琉球使節の儀衛正として江戸を訪れています。このときは尚灝王(しょうこう・おう)の即位を認め祝ってもらった返礼としての外交使節でした。
○歴代の琉球使節の人員については、江戸幕府側の史料や、琉球王国の首里王府が作成した家譜(かふ)など様々な史料から多くの人員について判明しています。しかし下級役人や家譜の失われた人物などについては詳しくわかっていません。同時代に数多く出版された「琉球人行列図」などは、たとえば「普天間親雲上(ふてんま・ぺーちん)」などのように領地名と役職名を組み合わせた表記のみが多く、個人の姓名(※当時は「唐名(からなー)」と呼び、中国風の姓名だった)を特定することが困難である場合が少なくありません。また判明している人物について全体を一覧できる資料集なども今のところ見当たりません。人物情報の集約が期待されるところです。
(鶴田大)
しばらくお待ちください