旧首里城図 (きゅうしゅりじょうず)

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概要・解説文

 この資料は1930年代(昭和初期)に、首里城の修理工事の担当主任(文部省技官)として活躍した阪谷良之進(1883~1941)が作成・保管していたものです。内容は首里城域の縮尺6分の1の詳細な平面図です。
 阪谷は首里城を含め、沖縄の歴史的建造物を数多く調査し、膨大な図面や写真・メモなどの資料を残しています。それらは「阪谷資料」と呼ばれ、その一部は沖縄県立図書館に所蔵されていて、この資料もその一つです(「調査ノート」参照)。これらの資料は元々、首里城正殿の補修や、県内の歴史的建造物を保存指定文化財とするための資料として作成された文書でしたが、その後、戦災(1945)により失われた首里城、識名園(しきなえん)などの再建に際しても重要な資料となりました。首里城や識名園が昔ながらの姿でみごとに再建された背景として、阪谷が残した資料が大きな役割を果たしたといえるでしょう。阪谷はこれらの大事業を終えた後、過労がたたったのか、まもなく病没します。日本中の歴史的建造物の保存修復にかけまわった阪谷の最後の大事業が沖縄での仕事でした。

 図面をみると右上に題名『旧首里城図』と記されています。西(左)端は守礼門までが描かれています。「守礼之邦」と額に書かれた門です。点線で城域を示していますが、それによれば守礼門は城域の外とみられていたようです。東(右)端は城壁の外の「拝所」までが描かれています。『首里古地図』などを参考にすると国中城御嶽(くになかぐすくのうたき)と見られます。聞き取り調査などから重要な拝所と認識していたのでしょうか。

 ところで首里城正殿は1924(大正13)年に沖縄神社の拝殿(≒参拝をする建物)となり、1925(大正14)年には国宝指定され保存対象となりましたがここにも複雑な文化史問題が含まれています。各県に「県社(けんしゃ)」を設置して宗教的にも統一を図ろうとする日本政府の方針は、本来、「御嶽(うたき)信仰」を中心とする琉球・沖縄の宗教的伝統とは相容れないものでしたが政府の方針を受け入れることで首里城正殿は保存対象となったわけです。また明治以前の沖縄県は琉球王国という主権国家であったわけですから、歴史的建造物の保存管理が明治政府の管轄下に入っていたという他県と異なる事情については特に注意する必要があります。図面にも正殿のところに「拝殿(旧 正殿)」という注記がみえます。

(鶴田 大)

詳細解説文

 琉球王国が明治日本(大日本帝国)に併合され沖縄県が設置(1879)されると、それまで何百年も琉球王国の政治の中心となってきた首里城も住む人を失い、次第に荒廃していきました。1897(明治30)年に美福門(びふくもん)が倒壊したのをはじめ、首里城の正殿(首里城の主要な儀式が行われた最も中心となる建物)も台風・地震などで大きな被害を受けました。また、管理していた首里区の財政難から、中山門(ちゅうざんもん)、奉神門(ほうしんもん)なども次々と売却されました。
 こうした状況は日本全国で、多かれ少なかれ生じていました。文化財を保存する法律がなかったからです。しかし1897 (明治30) 年に「古社寺保存法(こしゃじ ほぞんほう)」制定により神社や寺院にある文化財が国宝として保護の対象となり、さらに、その対象を古社寺に限定しない「国宝保存法(こくほう ほぞんほう)」(1929)が制定されることで、やっと包括的な歴史的文化財の保存事業が全国で進められることとなりました。
 上記の法律に伴い、保護の対象となった首里城正殿も1928 (昭和3) 年から修理が着手され、1933(昭和8)年に一応の修復完成をみます。
 
 阪谷らの尽力で修復された首里城も第二次世界大戦で完全に破壊(1945)されます。首里城に沖縄県域の日本軍の(陸軍)総司令部が置かれたことは、今も私たちに歴史的文化財のありようについての深い問いかけを投げかけています。

(鶴田 大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
・『首里古地図』(沖縄県立図書館 貴重資料デジタル書庫)
・『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス社 1983年刊)
  ※「首里城」ほか各項目参照。
・『首里城を救った男 阪谷良之進・柳田菊造の軌跡』(野々村孝男 ニライ社1999年刊)
  ※阪谷良之進について、遺族への取材や新資料の発見を含め、最も詳しく記されている。
・『沖縄県史 第6巻 各論編5 文化2』(沖縄県教育委員会 編・刊  1975年)
  ※検索の際は「沖縄縣史」。p.515-665「建築」。沖縄の建造物の歴史概説と共に、戦前の国宝指定一覧表が掲載されている。
・『甦る首里城 歴史と復元』(首里城復元期成会 編・刊 1993年)
・『名勝 識名園の創設』(おきなわ文庫 ひるぎ社 2000年刊)
・『沖縄県内文化財復元・修理等工事報告書集 4』(沖縄開発庁 1987年刊)
・『世界遺産 琉球王国のグスク及び関連遺産群』(沖縄県 2001年刊) 
・『国建の半世紀 創業50周年記念誌』(国建 2010年刊)
・国指定文化財データベース(文化庁) 「首里城跡(しゅりじょうあと)」(web)
 → http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails.asp

(調査ノート)
・「阪谷資料」は狭義には沖縄県立図書館所蔵の7点をさすが、広い意味では多くの所蔵機関・所蔵家が保管している阪谷が残した文書類全体をさす。これらの資料が当時、文部省に提出された原本か、あるいは阪谷が手許に保管していた副本かはっきりしないが、文部省の押印などがみられないことから阪谷が手許においていた副本とみられる。
・阪谷良之進の残した資料は現在、沖縄県立図書館に『旧首里城図』(図面)、『識名御殿平面図』(図面)、『首里城付近ノ図』(図面)、『首里城正殿(沖縄神社拝殿)特別保護建造物修理工事関係資料』、『沖縄県下国宝指定建造物資料』(1931年)、『戦前の沖縄・奄美写真帳』(写真・1931年)、『国宝建築物修補資料』の七件が収蔵されている。これらの資料はどれも戦火をくぐり抜けて現存している貴重な資料であり、戦後沖縄の歴史的建造物再建に大きな役割を果たした。
・首里城が1924年に取り壊しを免れたいきさつについては有名なエピソードがある。当時、維持管理のたいへんさから取り壊しが決定されていたが、その知らせを聞いた鎌倉芳太郎(かまくら・よしたろう 沖縄県で教員として勤務し、やがて文化史家・美術家として活躍)はすぐさま、伊東忠太(いとう・ちゅうた 当時の代表的な建築家で歴史的建造物の研究・保存に関しても重要な立場にあった)に危機を伝えた。それを聞いた伊東は政府担当機関(内務省 ないむしょう)に取り壊し工事中止をかけあい、了解を取り付けた。そこで電報が沖縄へ打電され、工事開始直前に取り壊しが中止されたという。
・阪谷が首里城修理事業と直接関わるのは文部省宗教局勤務となった1929(昭和4)年からとみられる。
・沖縄県立図書館の「阪谷資料」の入手のいきさつについて野々村孝男氏著作(1999年p.186 ※「参考文献」参照)に下記のように記述されている。
「(・・・)沖縄県立図書館の「阪谷資料」は、一九八二年(昭和五十七)、東京で開催された明治古典会主催の「七夕大入札会」の目録の中から「沖縄学術調査文献」として競売に出されていることを発見し、東京の古書店を通じて購入されたものである。 (・・・)」
・首里城は現在、「首里城跡」として国の史跡名勝天然記念物に指定されている。
・戦前(1945年以前)に国宝指定された建造物(24件)は下記の通り。
 ○波上宮 朝鮮鐘(1908年指定。1945年損壊。竜頭残欠が沖縄県立博物館に、拓本が沖縄県立図書館に所蔵されている。)  
 ○首里城正殿(1925年指定。1945年亡失。1992年復元。)  
 ○首里城守礼門(1933年指定。1945年亡失。1958年復元。)  
 ○首里城歓会門(1933年指定。1945年亡失。1974年復元。)  
 ○首里城瑞泉門(1933年指定。1945年亡失。1992年復元。)  
 ○首里城白銀門(1933年指定。1945年亡失。1999年復元。) 
 ○円覚寺総門(1933年指定。1945年亡失。1968年復元。)  
 ○円覚寺右掖門(1933年指定。1945年亡失。1968年復元。)  
 ○円覚寺左掖門(1933年指定。1945年亡失。1968年に一部復元。) 
 ○円覚寺放生橋(1933年指定。1945年一部損壊。1967年復旧。) 
 ○円覚寺三門(1933年指定。1945年亡失。) 
 ○円覚寺仏殿(1933年指定。1945年亡失。) 
 ○円覚寺龍淵殿(1933年指定。1945年亡失。) 
 ○円覚寺鐘楼(1933年指定。1945年亡失。) 
 ○円覚寺獅子窟(1933年指定。1945年亡失。) 
 ○崇元寺総門(1933年指定。1945年一部損壊。1953年復旧。) 
 ○崇元寺右掖門(1933年指定。1945年一部損壊。1953年復旧。) 
 ○崇元寺左掖門(1933年指定。1945年の戦災を免れ現存する。) 
 ○崇元寺第二門(1933年指定。1945年亡失。) 
 ○崇元寺正廟(1933年指定。1945年亡失。) 
 ○園比屋武御嶽石門(1933年指定。1945年一部損壊。1956年復旧。) 
 ○末吉宮本殿(1936年指定。1945年一部損壊。1972年復旧。) 
 ○沖宮本殿(1938年指定。1945年亡失。) 
 ○弁が嶽石門(1938年指定。1945年亡失。) 以上24件。

・「旧首里城図の図面は周辺の丘陵部分を含めた城域を点線で区切り、区域内外を丁寧に図面化している。縮尺は6分の1。図面には、西北端は守礼門付近から、東端は城外の「拝所」までを描いている。西北部にある龍潭池(りゅうたんいけ)は風水上、王城における重要な場所だが文化財上はひとまづ城外とみなされたようで図面上に描かれていない。守礼門についても文化財上は「首里城」の外と認識されていたようで、点線によれば、歓会門とその外の番所辺りからが城域となる。一方、図面東端の「拝所」は城域外では例外的に描かれている。聞き取り調査などによって重要な場所と認識されたのだろうか。『首里古地図』など参照にすれば「国中城御嶽(くになかぐすくのうたき)」であろう。南北端は城壁とそれをとりまく森林や道路を描くのみで周囲の拝所や御殿などは描かれていない。

(鶴田 大)
しばらくお待ちください