宗門手札 (しゅうもんてふだ)

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『宗門手札(しゅうもん・てふだ)』(新垣筑登之・あらかき ちくどぅん 慶応二年(1866)分) 解説

 江戸幕府のキリスト教禁止令(1612年)を受けて、1636年以降、琉球王国でもキリスト教禁止を目的とする各人の宗門(しゅうもん=信仰している宗教)の調査が行われました。この手札は、その調査の際にキリスト教徒でない証拠として各人に配布された証明書です。表面(おもてめん)に氏名・所属宗派が記されると共に焼印(やきいん)が押され、裏面(りめん)に住所と調査年月日、調査担当者などが念入りに記されています。「紙」でなく木製の「札」であったことは湿気の多い琉球の気候に合わせたものでしょう。(※当時の日本(大和文化圏)では一般に各人は仏教各派の各寺院の信徒として登録され、寺院が定期的に幕府に信徒の名簿を紙面で提出していました。)

 首里王府では1836年以降、定期的に宗門調査を行い、その内容は「宗門改帳(しゅうもん・あらためちょう)」にまとめられ管理されました。キリスト教の禁令は元々が江戸幕府の政策ですから、琉球王国ではそれほど厳しく行われなかったと思われがちですが、実際には当時の「日本」を逃れて琉球王国へ移住する「きりしたん(=当時のキリスト教徒)」が相次いだことから、幕府も琉球における宗門調査を強化し、琉球におけるキリスト教の禁令・弾圧は想像以上に苛酷(かこく)なものだったとされています。
 琉球におけるキリスト教の禁令は明治時代の1872年まで継続します。

 元々、琉球・沖縄は自然崇拝・祖先崇拝が強い土地柄で、仏教などの外来宗教の影響も当時の「日本」と比較すると小さなものでしたから、実際には「宗門手札」や「宗門改帳」に記入される仏教宗派なども形式的なものが多かったと考えられます。
 とはいえ、現存する宗門手札などをみると「禅宗」「儒家(=儒教)」が多い点には琉球の特徴が現れています。王家の寺である崇元寺(そうげんじ)や首里城に隣接する琉球最大の寺院である円覚寺(えんがくじ)はいづれも禅宗です。(※ちなみに江戸幕府将軍の徳川家は仏教・浄土宗に属していました。)
 儒教については、先述の通り、当時の「日本」における仏教各派の役割を担ったという意味で、琉球王国のほうがより盛んだったと言えます。琉球王国内では仏教の影響力は比較的小さなものでした。また首里王府内に大きな勢力を持っていた久米村(くめむら)士族は中国・福建省からの渡来人らの子孫で、儒教の創始者である孔子(こうし)を祀る孔子廟(こうし・びょう)を建立し、そこでの儀式は盛大なものでした。久米村士族の繁栄はそのまま琉球王国での儒教の繁栄だったようです。

 現存する琉球の宗門手札は8点ほどで、その内4点が県立図書館に所蔵されています。すべて慶応二年(1866)のものです。この新垣筑登之(※「筑登之」は首里王府の士族の位の一つ)の手札をみると、表面に氏名と宗派「禅宗」が記され、また焼印が押されています。右側に細かく記されているのは家系に関する情報です。裏面には中央に居住地が(那覇)「若狭町」であることが記され、左右には「慶応二年」などの調査日や、調査者である「小禄親雲上(おろく・ぺーちん ※「親雲上」は首里王府の士族の位の一つ)」などの名が記されています。

(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス社 1981年刊)
 ※項目「宗門改(しゅうもん・あらため)」「崇元寺」「儒教」など参照
『国史大事典』(吉川弘文館 刊)
 ※項目「宗門改」「キリシタン禁制」「檀家制度(だんか・せいど)」など参照。
「宝庫からのメッセージ」(展覧会図録  琉球大学附属図書館、沖縄県立図書館、沖縄県立博物館・美術館 編・刊  2010年)
ほか

(鶴田大)
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